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デイトレ・ブーム、IPOブームの最盛期である2005年12月8日に、新規上場銘柄「ジェイコム」の公開初日に起きたジェイコム株大量誤発注事件。
証券会社のディーラーが、「61万円1株売り」とするべき注文を「1円61万株売り」と誤って発注したことで株価が暴落(ストップ安)したものでした。
一方で、上場初日の大暴落を見て、「これは誤発注だ」と判断できたトレーダー、ディーラーは即時に買い注文を行い、まさに「漁夫の利」を得ました。
誠に恥ずかしい話ですが、プロであるはずのディーラーのミスから、一般投資家が大きな利益を得るというものでした。
この「61万株の売り」というのは、市場には存在しない数の売り注文。
この銘柄の発行株式数を把握していれば、「誤発注である」と判断出来るものでしょう。
しかし、そのような基本的な情報さえも知らずに、ただIPO銘柄の値動きの良さだけに注目して売買を繰り返していたトレーダーには、なにが起こったのかわからず、中にはつられて売り注文を出してしまったデイトレーダーもいたそうです。
当時のデイトレーダーの中には、株式市場の基本も知らずにひたすら売買を繰り返していたトレーダーも多かったようです。
前述のジェイコム事件で大きな利益を得た某トレーダー氏は、既に独自で投資手法を確立していましたが、そうではなく、ただ度胸だけでデイトレを繰り返していたトレーダーはその後どうなったでしょうか。
2006年1月16日のライブドア・ショックをきっかけに乱高下し、やがて下落していく相場の中で、多くのトレーダーたちが退場していきました。
中には、数億円の資産を手にし、カリスマ・トレーダーとしてマスコミに登場していたトレーダーでさえも、です。
要は、2004年、2005年と続いた右肩上がりの相場の中では、強気なもの程利益をあげることができたのです。
仮に、失敗して含み損を抱えていても、数日経てば株価は戻り、利益をあげます。
多くのトレーダーは、「自分が買った株は必ず騰がる。自分は株の天才だ」と感じたことでしょう。
そのような個人投資家たちのブログの多くが、ライブドア・ショック以降、更新を止めました。
1度、テレビ番組でそのようなカリスマ・デイトレーダーを集めた番組がありました。
「何故デイトレードで勝てるのか」という司会者の質問に、あるトレーダーは「DNA関係かな?」と応えていました。
DNA=遺伝子に刻まれた、持って生まれた資質である。
トレーダーはそういいたかったのでしょう。
果たして本当にそうでしょうか。
わたしのDNAにはそんなものは存在致しません。
何故そうかと言い切れるのか、わたし自信、壁にぶつかり、そして、もがきながら現在の手法にたどり着きました。
あるのは、20年間、あらゆる相場の中で編み出した理論。それも地合に左右されない普遍的な理論と、そしてそれを直実に実行する為の精神力です。
まだ20代前半のころ。証券マンとしての自信に満ちあふれていたわたしは、自ら望んで証券会社の自己売買部門、証券ディーラーへの異動を志願しました。
証券営業時代から相場観では誰に負けないという自負があり、担当する顧客にも喜ばれていました。
しかしわたしは、お客様からいただく売買手数料では飽き足らず、もっと大きな利益を会社に与えられると自信を持っていました。
まだ20代。野心に満ちあふれていた若者でした。
会社も、わたしの実績を認め、ディーラーへの途を用意してくれました。
そして、意気揚揚とディーリングルームに出社した日。
煙草のけむりで霞がかかった室内で、男たちが無言でキーボードを叩いていました。
新人として諸先輩方に挨拶をする間も与えられず、端末の前に座りました。
血気盛んに、自分には誰よりもトレードの才能があると意気込んでいました。
早くに結果を出そうと意気込み、必死に僅かなチャートの上昇も逃すまいと目を凝らしてトレードを繰り返しました。
証券会社内部の証券トレーダーには売買手数料というものは御座いません。また差金決済といって、1億円分の株券を買うのに、本当に1億円の資金が必要というものでは御座いません。
まず、1億円分の株券を保有したことにして(ポジションをとる、といいます)、株価があがり保有する株の合計額が1億1000万円になったときに手放す(決済する)と、差し引き1000万円の利益が生まれます。本当に株券の受け渡しをするわけではなく、株主になるというものでも御座いません。
しかもそのような取引を1人に何度でも、同じ銘柄でも繰り返すことが出来るのです。
そのような有利な状況の中で、わたしはトレーダーをつづけることができました。
しかし、隣の席の先輩トレーダーは、ザラ場(株式相場が開いている時間帯)に、平気で一服しに部屋を離れ、ときには大量の買いポジションをとったまま(買い注文で株式を保有していることと同じ状態)、しばらく休憩していることもしばしば。
それで、月に何億円もの利益を叩き出すのです。
わたしは彼我の才能の差に打ちのめされました。
彼の手法をまねようと、画面をのぞき見もしましたが、あるのはシンプルなチャートだけ。
わたしはといえば、為替、海外市況等、あらゆる情報をトレードに活かそうと必死でした。
それこそ、株式トレードには、「特別な才能」が必要なのかと、大きな壁にぶつかったものでした。
月末の飲み会、例の先輩トレーダーは、成績トップのトレーダーに贈られる社長賞1000万円を手にしました。
月に歩合給で数億円を手にしている彼は惜しげもなく「今夜はこれで豪遊しよう」と1000万円をポンと投げ出したのです。
当時はキャバクラ等御座いませんでしたが、吉原の夜を満喫しました。
そして幸いにも、明け方にその天才トレーダーと差し向いで話す機会を得たのです。
日頃の疑問が噴出しました。
「株価の流れがわかるのですか?」「なんでそんなにトレードが上手いんですか?」
トレーダーというものは個人事業主に近い一匹オオカミ的な存在です。
決して自分の編み出した手法を同僚に教えるような者はいません。
しかし、彼は違いました。20代前半のわたしにヒントを与えてくれました。
「伸ちゃん、気負い過ぎなんだよ。1日にいくら稼がなきゃとか、目標を決めているでしょ。全ての値動きで利益を出そうとしているでしょ。
10回トレードチャンスがあるなと思っても、少しでも負けると思ったら乗ら無くていいんだよ。7回にしてごらん。そのうち、5回とれて2回は同値で手じまえればいいでしょ。」
既に、トレードを行われている方は、「なんだ、そんなことか」と思うでしょう。
でも、当時のわたしは、全ての値動きを手中に収め、株価の上げ下げを全て利益にしようと腐心していました。
結果、ときにはやら無くてもいいトレードに突撃し、そのときの失敗のイメージが尾を引いて、チャンスで躊躇してしまっていたのです。
「獲れるときだけ獲ればいい。結果はきちんとついてくる」
先輩から得たことはこれだけでした。
勿論、今回のわたしのマニュアルに書かれていることはそんなことでは御座いません。
しかし、そのことを心に固く念じてからは相場の見方、トレードへの向き合い方が変わりました。